服を捨てるか迷って進まなかった理由と後から分かったこと

発達脳の片付け術

服を捨てるか迷って何も減らせなかった

片付けをしようとすると、いつも止まるのが服でした。

クローゼットを開けて一枚ずつ見ていくと、
「これはもう着ないかもしれない」
「でも、まだ綺麗だし…」
そんな迷いが必ず出てきます。

結局、「後で着るかもスペース」にとりあえず置いて、
何も決めないまま作業が終わることがよくありました。

服には「思い出」がくっついていた

私の場合、服を捨てられなかった理由のひとつは、
「思い出がはっきり紐づいていたこと」でした。

たとえば、旅行先で着ていた服や、
イベントに行ったときに身につけていた服。

それらは単なる衣類ではなく、
その日の空気や高揚感と一緒に記憶の中に残っている存在でした。

だから、
「もう着ない=いらない」と頭では分かっていても、
どうしても割り切れない感覚が残っていました。

結果として、家の中に放置したまま、
気持ちだけが引っかかり続けていたと思います。

それらは単なる衣類ではなく、
その日の空気や高揚感まで一緒に残っているような存在でした。

「着ない=いらない」とは、
どうしても割り切れませんでした。

結局、家着になり、着なくなっていった

実際には、
「後で着るかも」と残した服の多くは、家着になりました。

ただ家着にしたからといって、頻繁に着るわけでもなく、
気づけばクローゼットの中で眠ったままになっていきます。

「普段着ない」という事実は分かっているのに、
捨てる決断だけができませんでした。

迷っているときの頭の中

綺麗だし、まだ着られる。
でも、普段は着ていない。

この往復をしているとき、
私の中に強く出ていたのは判断を先送りしたい気持ちでした。

特に苦しかったのは、ゴミ捨ての日が近づいてくるタイミングです。

「今日決めないと、また次の週まで持ち越しになる」
そう分かっていながら、決断を迫られる感じが負担でした。

断捨離という考え方自体は、いいものだと思っている

断捨離という言葉自体は、私はいい言葉だと思っています。

物を減らし、暮らしを整えるという考え方も、
大事なことだと思います。

ただ、その考え方をそのまま自分に当てはめると、
うまくいかない場面もありました。

後から気づいたこと

振り返ってみると、捨てられなかったのは優柔不断だったからではありません。

思い出があるものを手放すこと。
まだ使えるものを失うこと。

それを避けたいと思うのは、人として自然な欲求だったのだと思います。

さらに、ゴミ捨ての日という期限が重なることで、
判断の負荷が一気に高まっていました。

それでも、大型家電は手放せた

不思議なことに、服は迷い続けたのに、
大型家電はほとんど悩まず処分できました。

ただ、これは「私の決断力が上がったから」ではありません。

運べる手段を用意できた
それだけで状況が動きました。

レンタカーで運べる状態を作った

大型家電は、そもそも自力では運べません。
「捨てたい」と思っても、運ぶ手段がないとそこで止まります。

私の場合は、ニコニコレンタカーでレンタカーを借りて、
リサイクルショップまで運びました。

たったそれだけのことなのに、
長く置きっぱなしだった家電が部屋から消えたときは、
正直かなり助かった感覚がありました。

捨てられる・捨てられないは、性格ではなかった

ここで気づいたのは、
捨てられるかどうかは「気合い」や「性格」だけで決まらないということです。

服は、思い出が絡む。
判断が何度も必要になる。
だから迷い続ける。

一方で大型家電は、
思い出よりも「運べるかどうか」が壁になっていました。

つまり私は、
気持ちの問題で止まっていたものと、
手段がなくて止まっていたものが混ざっていたのだと思います。

まとめ:断捨離は、条件が揃ったところからでいい

服を捨てられなかったのは、
思い出や価値を感じているものに対して、簡単に決められなかっただけでした。

そして大型家電を手放せたのは、
決断力が上がったからではなく、運べる手段を用意できたからでした。

断捨離は、気合いでやるものではありません。
条件が揃ったところから、ひとつずつでいいのだと思います。

迷う自分を否定しない。
それでも「動かせる部分」を先に動かす。
私にとっては、その順番が一番現実的でした。

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